弘明寺について

横浜最古の寺
弘明寺観音についてご紹介します。

横浜最古の寺弘明寺観音

今から1300年近く前、元正天皇の養老5年(721年)にインドの善無畏(ぜんむい)三蔵法師が渡来、それから17年を経て聖武天皇の天平9年(737年)、天下に悪病流行の際、河内和泉の国の僧行基が勅命を奉じて、天下泰平祈願のため全国を巡錫(じゅんしゃく)し、当山の浄域に草庵を作り、一刀三礼(一刀刻む毎に三度礼拝する)の至誠を尽くして彫刻祈願されたのが、現在の御本尊十一面観世音菩薩様です。

嵯峨天皇の弘仁5年(814年)には、弘法大師が回国の際、一千座の護摩を焚いて庶民の除災招福を祈願したと言われています。

そして寛徳元年(1044年)3月10日、光慧上人により瓦葺き本堂が建立されました。御本尊様の彫刻予想年代とこの本堂建立の年代がほぼ一致することから、この頃が実際の開山と思われています。

鎌倉時代には、「求明寺」と称されていたものを、観音経偈文(かんのんぎょうげもん)の中の「弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい)」の「弘」の字をとり、「求」を改めて現在の弘明寺となりました。

無住職となり、住職系図までもが紛失した明治中期。

無住職となり、住職系図までもが紛失した明治中期。

明和3年(1766年)に智光上人により現在の本堂に再建されましたが、光慧上人が建立した時のチョーナ彫の床板やハリ、ケタ、等は再使用されています。大政奉還によって政権が朝廷に戻り明治時代を迎えると、神道に属さぬ仏教寺院は全国で大弾圧を受け、当山も寺領は御朱印と共に新政府に没集され、明治中期には無住職となって寺伝、寺宝の数々、住職系図までもが紛失する事態となりました。

弘明寺商店街の誕生と、弘明寺駅の完成。

弘明寺商店街の誕生と、弘明寺駅の完成。

明治34年(1901年)に渡辺寛玉師が住職に就任すると、弘明寺保勝会が設立され、弘明寺の復興と町おこしに皆邁進しました。大岡川沿いの桜並木もこの当時植樹されたものです。

明治44年(1911年)には、県知事周布公平氏の指示により、仁王門前から鎌倉街道に接する農道が整備され直線の4間道路が完成、これが現在の弘明寺商店街です。 昭和に入ると、4年(1929年)に湘南電気鉄道(現京浜急行電鉄)が、寺裏山を貫通して弘明寺駅が完成しました。

昭和51年(1976年)には、美松寛海和尚により本堂屋根銅板張り替え工事、客殿改修工事が行われ、続いて美松寛定和尚により「平成の大修築」が実施されました。
平成13年(2001年)6月には、京浜急行電鉄株式会社より会社設立100周年の記念事業として、人々の病気平癒を祈願する為に身代地蔵菩薩が境内に奉納されました。